• 【2025年01月13日】藤堂平助と「新選組離脱」の真相

  • Jan 13 2025
  • Durée: 4 min
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【2025年01月13日】藤堂平助と「新選組離脱」の真相

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  • 雑学の森 日本史

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    「藤堂平助と「新選組離脱」の真相」


    藤堂平助(とうどう へいすけ)は、新選組の八番隊組長として知られる人物です。若さに加え、教養と人望を兼ね備えていた彼は、多くの隊士たちに親しまれる存在でした。しかし、彼の生涯において特に注目されるのは、新選組を離脱し「御陵衛士(ごりょうえじ)」へと参加した点です。この離脱の背景には、幕末の複雑な人間関係と思想の違いが影響していました。


    藤堂は新選組初期からのメンバーであり、剣術に優れた実力者として知られていました。しかし、その性格は温和で理知的だったと言われ、新選組内での過酷な規律や粛清に対して内心では疑問を抱いていた可能性があります。特に1863年の「池田屋事件」やその後の内部粛清(山南敬助や芹沢鴨の死)を経験する中で、新選組の運営方針に不満を持つようになったと言われています。


    1867年、藤堂は伊東甲子太郎を中心とする「御陵衛士」に参加します。御陵衛士は、表向きには孝明天皇の墓(御陵)を守るための組織という名目でしたが、実際には倒幕運動を視野に入れて活動していました。これにより、藤堂は新選組の理念とは異なる道を歩むことになります。


    興味深いのは、藤堂の離脱に対して新選組が示した反応です。新選組の首脳陣、とりわけ土方歳三は、この行動を「裏切り」と見なし、御陵衛士に対して敵意を強めていきます。その結果、同年11月の油小路事件で御陵衛士は壊滅し、藤堂も命を落としました。伝承によると、藤堂はこの事件で致命傷を負いながらも「助けてくれ」と叫んだとされ、この言葉は土方歳三をはじめとする旧友たちの胸に重く響いたとも言われています。


    藤堂平助がなぜ新選組を離脱したのかについては、いまだに議論が続いています。一説では、理想を追い求めた若き武士の葛藤の表れとされ、もう一つの説では、伊東甲子太郎のカリスマ性に強く影響された結果とも言われます。いずれにせよ、彼の行動は幕末という激動の時代における個人の信念と組織の対立を象徴するものです。


    藤堂平助は、わずか25歳という若さで命を落としましたが、その短い人生の中で示した情熱と矛盾は、今なお幕末ファンの間で語り継がれています。彼の生涯をたどることで、新選組という組織の内情や、幕末という時代の複雑さを深く知ることができます。


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